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私の心情 昭和19年9月6日生誕 私は深堀武士の末裔(深堀武士は日本武士道の鏡である)と言う事、 徳川家康の菩提樹の名前を岡崎中央航空社長小川格、岡崎町長が なずけ親であると言う、ほこりを身にうけていること。 私は、この身がマットウするまで、身を処していきます。 血の涙、腹を切るそんな事ではない。 日本人はもっと考える事があるだろう。 子供の頃より、心ひそかにいだき・・・・・・ |
私の歴史観@
織田信長の考え |
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@ [池田八次郎](いけだ-はちじろう) 昭和5年死去。67歳。 (1864−1930) 明治-昭和時代前期の公共事業家。 元治(げんじ)元年生まれ。ウラジオストク, 朝鮮,樺太(からふと)(サハリン)にわたり, 明治23年ごろ1400人余の配下を擁したという。 帰国後,郷里での賭博(とばく)をやめさせた。 のち水産,練炭生産などで成功。 長崎ペーロンの発展につくした。 肥前彼杵(そのぎ)郡(長崎県)出身。 A 三無事件(さんむじけん・さんゆうじけん)は、 日本で発生したクーデター未遂事件である。 [池田八次郎] 宗谷の歴史 三無事件 B 長崎と日清、日露戦争 |
以上書いてきましたが・・・・・・ 三無事件(さんむじけん・さんゆうじけん)は 徳富蘇峰の思想を八次郎が実行をしたと推測する 源田実、書生の児玉 誉士夫、笹川良一東北のほうから 来たと記憶してしてる、笹川良一は、深堀藩から三菱に 譲った、伊王島炭鉱の利権を握る。その土台が今に及ぶ 徳富蘇峰は、何回か長崎の、花月に来ている。 八次郎は、昼夜を問わず、花月で営業をしていた。 花月にある、お盆が、八次郎も持っていた。 八次郎の妾腹の長女から貰う約束をしていたが。 紫檀で出来た、長火鉢は貰った。・・・・・・・・ それと、八次郎の、子供は天草の崎津港にもいると、 聞いている。私が親戚を代表する、形で絹江叔母さんから 火鉢はもらった。叔母さんには、ある程度のことは、聞いた。 日本の未来は、どうなることやら |