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平戸「武家茶」鎮信流

                                              
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松浦鎮信 (天祥)

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       2015年3月30日(日曜)

松浦鎮信

1622年4月23日(元和8年3月13日)−1703年11月14日

(元禄16年10月6日))は、江戸時代前期の大名。肥前平戸藩の第4代藩主。

第3代藩主・松浦隆信の長男。母は牧野康成の娘・充。

正室は明石藩主・藤井松平忠国の娘。

子に棟(長男)、昌(次男)、篤信(四男)、斉(ひとし、五男)、娘(板倉重冬正室)、

娘(石川乗政継室)、娘(松浦信知室)、娘(牧野忠貴正室)、

娘(南部政信正室のち新庄直賢継室)、娘(松浦信方養女)、娘(熊沢正令室)。

幼名は千代鶴、のちに源三郎、

諱(実名)は重信、隠居してからは曽祖父と同じ鎮信と改めた。

官位は従五位下、肥前守。号は天祥庵、徳祐、円恵。


元和8年(1622年)3月13日に江戸藩邸で生まれる。

寛永14年(1637年)5月に父・隆信の他界に伴い藩主を継ぐ。

この年の島原の乱では主に長崎の警護にあたっている。

ところが乱の終結後に幕府巡視があり、

オランダとの独占的な交易によって得た強力な兵備が知られて、

寛永18年(1641年)平戸商館の閉鎖が命じられることになる。

このために平戸藩は巨利を失い財政が苦しくなったが、

以後新田開発を始めとして諸産業を振興し、

九州第一の善治良政と讃えられるまでになった。


山鹿素行との交友が深く、その助言をよく聞いていた。行政手腕もさることながら、

国典漢籍蘭学に通じ、禅や神道を学び、書を嗜む文化人としても知られる。

特に茶道は若い頃から愛好し、様々な流派の茶人と交流して研究を重ねた上、

片桐石州に師事し石州流の皆伝を受け、

今日鎮信流として知られる茶道の一派を立てるに至った。

元禄2年(1689年)隠居し、跡を長男・棟が継いだ。元禄16年(1703年)10月6日、

向島の別邸にて死去。享年82。墓所は本所天祥寺。天祥院殿慶厳徳祐大居士。


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