幕末期 長崎で活躍した人物 |
「上野彦馬」
(1) 天保9年(1838年) - 明治37年(1904年) 幕末期から明治時代にかけて活躍、我が国写真術の祖。 上野俊之丞の4男として長崎銀屋町に生まれた。 天保9年(1838)長崎の蘭学者・上野俊之丞の次男、号は季渓。 15歳のとき豊後日田、広瀬淡窓の塾、咸宜園で学び、 長崎に戻り通詞名村八右衛門にオランダ語を習う。 (2) 仏人ロッシュについて、写真術を習得する。 安政5年(1858)にポンペを教師とする医学伝習所 に新設された塾、舎密試験所に入り、舎密学(化学)を学んだ。 蘭書から湿板写真術を知り大いに関心を持つ。 同僚の堀江鍬次郎らと共に蘭書を頼りにその技術を習得する。 感光剤に用いる化学薬品の自製に成功する、化学の視点から写真術の研究を深める。 (3) 堀江鍬次郎と江戸に出て多くの写真を撮影し、開眼した。 文久元年(1861)江戸藤堂邸で津藩主らを撮影した。 文久2年(1862)故郷の長崎に帰り、中島河畔に上野撮影館を開業。 我が国最初の写真館である、同時期に下岡蓮杖らも開業。 |
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(4) 「舎蜜局必携」3巻を記した、第3巻付録として写真(湿板)技術を解説。 彦馬は日本最初の職業写真師で、上野撮影館では。 幕末に活躍した・坂本龍馬・高杉晋作ら若き志士や、 明治時代の高官、名士の肖像写真を数多く撮影した。 (5) (日本初の天体写真) 明治7年(1874)アメリカ金星観測隊の太陽通過の撮影を援助した。 (日本初の戦跡写真) 明治10年(1877)西南の役に従軍、我が国報道カメラマンの草分けである。 同年に開催された第1回内国勧業博覧会では鳳紋褒賞を受賞する。 その写真は歴史的・文化的にも大いに評価されたのである。 また海外の上海、香港、ウラジオストクなどに支店を造る。 (6) 我が国写真術発展の為に後進の指導をする。 多くの門人、特に内田九一や冨重利平らを出した。 明治37年(1904)長崎で死去。享年67。 日本写真界の祖として、高く評価されている人物である。 長崎から多くの有能な人材が世の中に出たのである。 世界の窓として、長崎は発展をしたが今日に及んでは????? |
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