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幕末期 長崎で活躍した人物 |
(1) 天保元年(1830)−安政6年(1859)長州長門東松本村の生まれ。 名は矩方、通称寅次郎。萩藩士杉百合之助の次男。 五歳の時、叔父吉田大助の養子となり18才のとき、山鹿流軍学師範となった。 嘉永三年(1850)山鹿流軍学研究と称して西遊中、長崎に来た。 その日すぐ天草富岡に渡り翌年、藩主の江戸出府に随行。 (2) 佐久間象山に洋学を学び、同年、無断で江戸から東北地方を遊歴した。 脱藩の罪で藩を追われ、嘉永六年(1853)佐久間象山と密航を計り、 9月18日江戸より熊本から長崎入りしたのは二度目である。 9月27日、24才のとき、来泊中のロシアの艦船での密航は未遂。 嘉永七年(1854)3月18日、下田でアメリカの船で密航を計画。 佐久間、吉田両名は死罪になるところ、老中首座の阿部正弘が反対した。 助命されて長州の野山獄に投獄される。 のち、釈放され、1855年(安政2年)、生家で預かりの身となる |
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(3) 家族の薦めにより講義を行い、叔父の玉木文之進が開いた 松下村塾を引き受けて主宰者となり、安政三年(1856)自宅で開く。 木戸孝允、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、 前原一誠等維新の指導者となる逸材を出す。 1858年(安政5年)、日米修好通商条約を激しく非難、 老中の間部詮勝の暗殺を企てた。 (4) 長州藩は警戒して再び松陰を投獄した。 1859年(安政6年)安政の大獄により長州藩に江戸送致を命令する。 老中暗殺計画を自白、自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町で打ち首にされる。 享年30、遺書を門弟達に書き残す。 辞世の句、身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂。 家族宛にも、親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん、 も辞世として知られている。 |
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長崎市八幡町7−6 TEL・FAX 095-821-8813 |
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