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幕末期 長崎で活躍した人物 
     

             「岩崎弥太郎」

(1)
 天保五年(1834)−明治十八年(1885)三菱財閥の創始者

浪人岩崎弥次郎の長男として土佐国安芸郡井口村に生まれる。

弥太郎の代に郷土の株を買って士分になった。

嘉永六年(1853)江戸に出て安積良斎に学んだ。

帰国後、藩の吉田東洋と門下の後藤象二郎を知る。

後藤象二郎は土佐藩で有力な地位を占めていた。

開成館と言う藩の通商機関に入る。
    


(2)
慶応3年(1867年)、後藤象二郎により藩の商務組織・土佐商会主任、

長崎留守居役となり、藩の貿易にあたる。

脱藩の罪を許された坂本龍馬の海援隊が土佐藩の外郭機関となる。

藩命で隊の経理を担当した。

外国商人との船舶武器の取引をした。

弥太郎の長崎に居たのは二年ちょっとであった。

船会社の設立、造船所の経営は、この当時の経験である。

                                    




















3)
明治元年(1868年)、長崎の土佐商会が閉鎖すると、大坂の土佐商会に移る。

土佐藩と弥太郎「明治三年(1870)」の合弁による土佐開成商社設立。

のち九十九商会設立し、藩船を使って回漕業を始める。

廃藩置県後の明治6年(1873年)に後藤象二郎の勧めで藩の負債を

肩代わりする条件で船2隻を入手し海運業を始める。

多くの事業を広げたが、海運業で目覚しく発展した。

大阪市西区堀江の土佐藩蔵屋敷(土佐稲荷神社付近)に九十九商会を改める。

三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)を設立。

三菱商会は弥太郎が経営する個人企業となる。

三菱のマークは藩主山内家の家紋と岩崎家の家紋を合わせて作る。



(4)
明治六年(1873)に三菱商会とした。

多くの事業を広げたが、海運業で目覚しく発展した。

政府の作った郵便蒸気船やアメリカの太平洋郵船会社との競争に勝つ。

明治七年の征台の役、明治十年の西南の役の軍事輸送で莫大な利を得た。

のち共同運輸会社との激しい競争の最中に没した。

今日の三菱財閥の基を築きあげたのである。



5)
弥太郎が富を得たのは、全国統一貨幣制度に乗り出した時、

藩札を新政府が買い上げる事を後藤象二郎に聞き弥太郎は、

十万両の資金で藩札を大量に買占め、新政府に買い取らせて富を得た。

政府の高官であった後藤象二郎と言う友人のおかげである。

政商として暗躍した、現代のインサイダー取引の初めとなる。

死後、三菱商会は政府の後押しで激しい競争をした、

共同運輸会社と合併、日本郵船となった。


(6)
日本郵船は三菱財閥の源流となる。

娘婿から加藤高明及び幣原喜重郎の2人の内閣総理大臣を輩出している。

単に財閥家族と血縁関係にあったり財閥の娘婿というだけの首相は他にもいるが、

財閥創業者の娘婿が2人も首相になった例は他の財閥にはなく、

三菱と国家の密接な関係を証明しているといえる。

三菱商船学校(官立の東京商船学校を経て現国立東京海洋大学海洋工学部)創設者である。

坂本龍馬の影響は、大きなものであったかと思います。

龍馬が生きていれば、長崎も今日の長崎ではなかったかもしれない。

三菱は、幕末の長崎を抜きにしては、今日はありえないであろう。

長崎に三菱の歴史的なものを残してほしいですね。


長崎市八幡町7−6
TEL・FAX 095-821-8813



                                     



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