高麗茶碗の流れ

【御本茶碗】高麗茶碗

桃山時代から江戸時代にかけて、

日本から手本を送って朝鮮で焼かせた抹茶茶碗。

狭義には釜山窯で焼かれたものをいう。

淡紅色の斑文があるのが特色。

日本の茶人が洒落て茶碗の名称をつけた。

高麗御本、高麗、朝鮮の釜山窯のものも含めていう。

享保(1716〜1736)ごろ朝鮮の陶法が伝えられて創始。

寛永16年(1639)対馬の領主宗氏が釜山の和館に築いた陶窯。


高麗茶碗は、16世紀半ば頃から、

日本の茶道で使われた茶碗の名称の一つで、

朝鮮で焼かれた雑器を好んで茶人が愛用して
                     茶器に見立てたものである。

高麗茶碗の「高麗」とは「朝鮮渡来」の意であり、

「高麗茶碗」と称されるもののほとんどは
          高麗時代ではなく朝鮮王朝時代の製品である。

日本の茶道は室町時代の「書院の茶」から

「侘び・寂び」を重んじる 「草庵の茶」へと変化していった。

その過程で茶器も唐物中心から高麗物、

和物がよしとされるように価値観が変わっていった。

もともと日用雑器として作られた「高麗茶碗」は、
         茶器として取り上げられるようになったものである。

高麗茶碗
の名称、分類、高麗茶碗を

日本の茶道では以下のように分類している。

彫三島 伊羅保 熊川 玉子手 堅手 斗々屋 柿蔕 雲鶴

割高台 呉器 黒高麗 白高麗 絵高麗 古雲鶴 三島 刷毛目 粉引
                        井戸 蕎麦 などがあります。
慶長年間(1596〜1615)になると、

日本の注文によって焼かれた茶碗もあり 御所丸、金海、伊羅保、

「彫三島」などがこの時期の注文茶碗ではないかと
                            推測されています。

享保2年(1717)和館窯。廃窯。

色々な説があるが定かではない。

私が今まで各県の美術博物館で

三十年前位に対州をやりたいが、

いまだにしていません。

茶人の注文がおもだったようです。

対馬の宗家は徳川と朝鮮の間で苦労したようです。

日本の歴史は対馬文庫に記されたことで判るようです。















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