次へ | ||
@ 『富岡鉄斎』(とみおか てっさい) 天保7年(1837)〜大正13年(1924) 字、無倦。 通称、猷輔のちに道昴・道節と称す 本名、百錬。 号を鉄斎。 別号、鉄人、鉄史、鉄崖等。 明治・大正期の文人画家、儒学者。 日本最後の文人と謳われる。 |
![]() |
|
A 天保7年(1837)京都三条通新町の 法衣商十一屋伝兵衛・富岡維叙の次男として生まれる。 幼名は不明。猷輔を通称とし、 のちに道昴・道節と称し、 明治のはじめ頃、一時名を鉄斎としたが、 しばらくのち百錬に改名。 字を無倦、号を鉄斎。 別号に鉄人、鉄史、鉄崖など。 耳が少し不自由であったが、 幼少の頃から勉学に励み、 はじめ富岡家の家学である石門心学を、 15歳頃から大国隆正に国学や勤王思想を、 岩垣月洲らに漢学、陽明学、詩文などを学ぶ。 |
||
B 安政2年(1855)18歳頃に、 女流歌人大田垣蓮月尼に預けられ薫陶を受ける。 翌年、南北合派の窪田雪鷹、 大角南耕に絵の手ほどきを受け、 南画を小田海僊に、 大和絵を浮田一宸ノ学んだ。 文久元年(1861)には長崎に遊学し、 長崎南画派の祖門鉄翁、 木下逸雲・小曽根乾堂らの指導を受けた。 翌文久2年、山中静逸と出会いをきっかけに、 画業で生計を立て始めた。 この頃私塾を開設。 藤本鉄石・板倉槐堂・江馬天江・ 松本奎堂・平野国臣らと交遊した。 |
![]() ![]() |
|
C 維新後の30歳から40代半まで 大和国石上神宮や和泉国大鳥神社の神官(宮司)を勤めた。 この頃、大和国の式内社加夜奈留美命神社を復興している。 座右の銘である 「万巻の書を読み、万里の道を往く」を実践し、 日本各地を旅した。 明治7年(1874)には、 松浦武四郎との交流から北海道を旅し、 アイヌの風俗を題材にした代表作 「旧蝦夷風俗図」を描いている。 |
![]() |
|
D 30歳で中島華陽の娘と結婚。 長女が生まれるが妻とは死別。 のちに再婚し長男を授かる。 明治14年(1881年)兄伝兵衛の死に伴い 京都薬屋町に転居し終の住処とする。 教育者としても活躍し、 明治2年(1869)私塾立命館で教員になる。 明治26年(1893)京都市美術学校で教員に就任し、 明治37年(1904)まで修身を教える。 大正13年(1924)大晦日、持病であった胆石症が悪化。 京都の自宅にて没する、享年90。 |
![]() |
|
E 作画業は歳を重ねるごとに次第に認められ、 京都青年絵画研究会展示会の評議員(1886年) 京都美術協会委員(1890年) 京都市立日本青年絵画共進会顧問(1891年) 帝室技芸員(1917年) 帝国美術院会員(1919年)と順風満帆だった。 この間の明治29年(1897)に 田能村直入・谷口藹山らと 日本南画協会を発足させ 南画の発展にも寄与しようとした。 また今尾景年を通して橋本雅邦と知己となり、 明治関東画壇との交流も深まった。 |
||
F 鉄斎は多くの展覧会の審査員となったが、 自らは一般の展覧会に出品することはあまりなかった。 明治30年(1897)以降では 自らが評議員である日本南画協会に定期出品している。 賛助出品という形で、 大正9年(1920)聖徳太子御忌千三百年記念美術展に 「蘇東坡図」を出している。 また大正11年(1922)大阪高島屋で個展を開催している。 |
![]() |
|
G 「最後の文人」と謳われた鉄斎は、 学者(儒者)が本職であると自認し、 絵画は余技であると考えていた。 また「自分は意味のない絵は描かない」 「自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」 というのが口癖だったという。 その画風は博学な知識に裏打ちされ、 主に中国古典を題材にしているが、 文人画を基本に、 大和絵、狩野派、琳派、大津絵など 様々な絵画様式を加え、 極めて創造的な独自性を持っている。 彼の作品は生涯で一万点以上といわれる。 80歳を過ぎてますます隆盛で、 色彩感覚の溢れる傑作を描いた。 生涯を文人として貫き、 その自由で奔放な画風は近代日本画に独自の地位を築き、 梅原龍三郎や小林秀雄らが絶賛。 日本のみならず世界からもいまなお高い評価を受けている。 |
||
H 兵庫県宝塚市の清荒神清澄寺の「鉄斎美術館」と 西宮市の「辰馬考古資料館」に多くの作品が収蔵されている。 代表作品 「阿倍仲麻呂明州望月図」 「円通大師呉門隠栖図」(1914年) (国の重要文化財)辰馬考古資料館蔵 「二神会舞図」東京国立博物館蔵 「旧蝦夷風俗図」(1896年) 東京国立博物館蔵 「富士山図屏風」(1896年) 清荒神清澄寺蔵 紙本著色 六曲一双 「妙義山・瀞八丁図屏風」(1906年) 布施美術館蔵 絹本著色 六曲一双 「不尽山頂全図」 「蓬莱仙境図」 「弘法大師像図」 「蘇東坡図」 「河内千早城図」湊川神社蔵 「武陵桃源図」(1923年) 「瀛洲遷境図」(1923年) 「阿倍仲麻呂在唐詠和歌図」足立美術館蔵 |
![]() ![]() ![]() |
|
I 出版物 画集『鉄斎画?』(1913年) 画集『百東坡図』(1922年) 画帖『米寿墨戯』(1923年) 印譜『無量壽佛堂印譜』(河井章石のツ印による自用印印譜) 文集『富岡鉄斎、大田垣蓮月』 近代浪漫派文庫2.新学社 (2007年) 『富岡鉄斎 図録編.資料編』 京都新聞社 (1991年) |
![]() |
|
次へ |