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鉄翁 祖門(てつおう そもん)

寛政3年(1791)〜明治4年(1872)

幕末長崎で活躍した南画家。

木下逸雲・三浦梧門と共に長崎南画三筆とされる。

本姓日高氏。諱は祖門、道号を鉄翁とした。

別号に明言・銕道人・蓮舟人など、

室号は太素軒。


長崎銀屋町の桶職人日高勘右衛門の子。

11歳で父を亡くし、

華嶽山春徳寺13世玄翁和尚に養育される。

幼少より画を好み、

はじめ唐絵目利の石崎融思に漢画を、

文化元年(1804)からは

来舶清人の江稼圃に師事して南画を学ぶ。




A
師が没した文政3年(1820)に

春徳寺14世住持となる。

文政10年(1827)51歳の田能村竹田が

春徳寺の鉄翁を訪問。

ふたりはこの邂逅を

「前世からの知己」と大いに喜んだ。

天保年間には親友木下逸雲とともに

清人陳逸舟の門下となり、

山水図や蘭竹図の画法を伝授された。


B
56歳のときには

京都・大坂・江戸に遊歴。

特に京都では貫名海屋・日根野対山・

中西耕石・安田老山らと交わった。

嘉永3年(1850)60歳で退隠すると

東淵山雲龍寺に移り、

居室を「太素軒」とし

書画禅三昧の日々を過ごす。

この時代を特に太素軒時代といい

墨蘭竹図・山水図などに名品が多い。

蘭竹画、とりわけ四君子のひとつ

蘭画の第一人者として知られた。

維新後、再び春徳寺に戻り最晩年を過ごす。

81歳にて入寂。

門人に滝和亭・村田香谷・

大倉雨村・倉野煌園など。

明治16年(1883)に、

倉野煌園により『鉄翁画談』が上梓されている。





C
エピソード(1)

〜命がけの蘭〜1

鉄翁が77歳の時(慶応2年)

一人の筑後久留米藩の藩士が

長崎の春徳寺へやって来て、

鉄翁和尚に面会を求めた。

取次役のお坊さんが出てきて来意を尋ねると、

この武士は和尚に師事して画を学びたいという。

そこで客を玄関に待たせて、和尚に取り付いだ。

「画を以て藩侯に仕えんとされるのか、

 それとも余技として画を学びたいのか?」
 
「画を以て主君に仕える家柄ではござらぬが、

 主人有馬侯、かねてより鉄翁和尚の画を慕い、

 老師の画法を学んでまいれとの上意」

「折角だが、

 この頃老病のため御意に添いかねる」
 
「これはまことに残念。

 しからば主人に蘭の画一幅、

 是非とも賜りたく、願いまする」

「今は筆とる気が進まず、

 手元に一幅も無くい」

「せめて御病床をお見舞い、拝顔したい」

「そのままお引き取りを〜」

久留米藩氏は、やっとあきらめて、

しぶしぶ引き上げたが、

日を変えて再三再四訪ねたが、

ついに面会できない。





D
エピソード(1)

〜命がけの蘭〜2


これでは主君に何とも報告の仕様もないので、

今日もまた春徳寺に行くと、

垣根越しに老和尚の元気いっぱいの顔が見えた。

今日こそ宿願を果さんものと、案内を乞う。

だが、やはり面会を断られ

ここにいたって和尚の意地悪に気づき

憤然として血相を変えた。

「何故に拙者を辱められる。

 有馬藩侯の命を奉じて

 礼を尽くして願いたるにも拘らず、

 頑固に面会を拒むとは〜

 次第によっては刀の手前、

 このまま帰ることはなり申さぬ」

すると、和尚は廊下に出て、

大音声で次のように言った。

「老僧は絵描きではない。

 その道の心得を人に伝えるのは本望。

 決して芸の出し惜しみはせぬ。

 しかし、たっての望みを退けたは、

 所存あってのこと。

 今はどういう時か。

 外から攻められようとしており

 内では世論が二分し、

 公武のあいだはいよいよ事切れようとしている。

 武士たる者は今は武を講じ兵を練り、

 一刻も猶予もならぬ事態。

 平素は文を以て任ずる者でも、

 志ある者は今や筆を捨てて剣をとる。

 しかるに、わしに面会を求めるやつは

 武士のくせに逆に剣を捨てて筆をとろうとしておる。

 そんな不忠不義の武士は、

 わしはどういわれても顔を見るのもいやじゃ。

 今どき、家来に

 そんなたわけたことを命ずる大名も大名じゃ。

 刀の手前などとぬかすのは、

 わしを斬るというのか。

 面白い、斬るというなら斬られもしよう。

 しかし、耳があるならよく聞いておけ。

 わしの首は刀で斬れるだろうが、

 わしの描く蘭はどんな刀を以ても得られはせぬぞ」


血相を変えて刀の柄に手をかけていた武士は、

その場に土下座して、両手をついた。

「お姿は見えねど、申し上げまする。

 拙者の数々の不埒の段、

 またわが藩の不心得、面目次第もございませぬ。

 帰ってこの首尾を申し伝えますならば、

 主人においても執心の蘭を得るより

 一層喜ぶことと存じまする。

 ありがたき御忠言、肝に銘じましてござる」

こう言って久留米藩士は立ち去った。

首はやるが蘭はやらぬ。

なんとも命がけの蘭であろうか。
 


E
エピソード(2)

〜鉄翁和尚の蘭〜1

鉄翁は山水や花鳥に魂を打ち込んだが、

とりわけ蘭は早くも大変な評判で、

若くして既に「入神の作」といわれた。

じっさい好む画題は蘭であった。

ある時知人の家ですばらしい蘭を見て、

その場で夢中になって写し、

幾日も飲まず食わず、夜を徹して一睡もしなかった。

そのため病を発して、病床に付した。

ところが、その病床に

一人の異様な仙人が現れて、

一茎の蘭を示し、

これを前後左右に拈じて

蘭のさまざまな姿かたちを現じて見せ、

最後にそれを手ずから鉄翁に授けて

忽然と姿を消した。

夢破れて後、

鉄翁は蘭に宿る生命の神秘を全て会得し、

その筆に成る蘭は

甚深微妙の高貴な美にあふれていた。



F
エピソード(2)

〜鉄翁和尚の蘭〜2

昔はよく夢のお告げというものがあって、

人力ではとても出来ない神秘の力を授けた。

夢のお告げを受けて難をまぬかれたり、

すばらしい繁栄への道を歩いた。

鉄翁はその後、支那渡来の

『有山堂画講』という有名な画集を手に入れた。

その中に彼が昔夢のなかで会得した筆使いが、

少しの違いもなく出ているので、

涙を流して感動を新たにしたという。

蘭に宿る心を深く会得するようになると、

心も、俗塵を超脱して静寂不動の境に到る。

蘭はもともと深山幽谷にあって、

世に知られることなく、

しかも馥郁として清らかな香気を放つもの

だからである。

また、このような人だったから、

稼圃の門に学んで後に

春徳寺の住持、鉄舟和尚について

出家得度したことは驚くに足りない。
G
エピソード(2)

〜鉄翁和尚の蘭〜3

師の鉄舟和尚も画が好きで、

自分でも風格のある画を描いた。

名高い夢窓国師の法を嗣ぎ、

中国へも渡り仏法を学ぶと同時に画も学んだ。

彼は自分の号「鉄舟」にちなんで、

このすぐれた弟子に「鉄翁」という号をあたえた。

祖門はそのいみなである。

鉄翁の画は、仏祖の道と一つになる。

画を学ぶのは何か世に求めるところ、

つまり有所得の心があってはならない。

その汚れが画に現れる。

断じてごまかしは効かない。

次に世評によって志を左右されてはならない。

褒められて得意になってはならず、

けなされて挫折感を持ってもいけない。

調子づいてはならず、悲観してもならない。

要するに、

人に瞞されては仏祖の道に反するのみでなく、

同時に画家の道にも反する。

故に胸中に一点の俗気もとどめないで

只、ひたすら修行するのだ。


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