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@ 文政11年(1828)〜明治38年(1905) 官僚、政治家、書家 勲一等、伯爵、 通称は二郎。 号は蒼海、一々学人。 父は佐賀藩の藩校・弘道館の教授で 国学者・枝吉南濠。 兄は国学者・枝吉神陽。 幼名を二郎。 安政6年(1859)に同藩の副島利忠の養子となる。 父・兄の影響により、 早くから尊王攘夷思想に目覚める。 弘道館で学び、この間江藤新平や大木喬任と交わる。 |
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A 嘉永3年(1850) 兄の枝吉神陽が中心となって結成した 楠公義祭同盟に加わる。 嘉永5年(1852)京都に遊学 漢学・国学などを学ぶ。 この間に矢野玄道らと交わる。 元治元年(1864)藩が長崎に設けた致遠館の 英学生監督となり英語などを学ぶ。 慶応3年(1867)大隈重信と脱藩し 勤王の志士として活動するが 捕らえられて佐賀に送還され謹慎処分を受ける。 |
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B 明治維新後は慶応4年(1868) 新政府の参与・制度取調局判事となり 福岡孝悌と『政体書』起草に携わる。 明治2年(1869)に参議 明治4年(1871)に外務卿となり マリア・ルス号事件において活躍。 助けを求めた中国人を解放したことで 「正義人道の人」と国際的に支持され 明治6年(1873)には 前々年に台湾で起きた宮古島民殺害事件 の処理交渉の特命全権公使兼外務大臣として 清の首都北京へ派遣され 日清修好条規批准書の交換 同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈 および交渉にあたった。 この間に清朝高官と詩文の交換を行い、高い評価を得る。 |
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C 明治6年(1873)10月の征韓論争に敗れたため いったん下野して、板垣退助らと共に 民撰議院設立建白書を提出した。 しかしその後の自由民権運動には参加しなかった。 西南戦争中は、中国大陸中南部を旅行滞在していた。 明治11年(1878)宮内省に出仕して 宮内卿と同格の一等待講。 明治17年(1884)伯爵。 明治20年(1887)に宮中顧問官、 明治21年(1888)に枢密顧問官、 明治24年(1891)に枢密院副議長になり 明治25年(1892)には第1次松方内閣において 3ヶ月間内務大臣を務める。 明治14年(1881) 勲一等旭日大綬章受章 明治38年(1905) 勲一等旭日桐花大綬章受章 学識の深さで明治天皇の学問相手(侍講)や 内務大臣などを歴任しました。 なお「蒼海」などの号で近代書家、 さらに漢詩人としても有名。 墓は佐賀の高伝寺のほか 東京の青山墓地にもあります。 |
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D 補足1 「マリア・ルス号事件」 明治5年(1872)7月13日夜半 一人の男が暗闇の横浜港に飛び込んだ。 これが事件の発端。 幸い男は近くに停泊中の イギリス軍艦「アイアン・デューク号」に救われたが その様子を不審に思った船員が問いただしたところ 男は船内での苛酷な取り扱いに耐えかねて逃げ出した清国人と判明。 ペルー船籍のマリア・ルス号(Maria Luz)は マカオを出航しペルーに向かって航行中 暴風で損傷した船体を修理するため横浜港に停泊。 船には230人の清国人移民が乗っていたが 船底に押し込められ 十分な食事も与えられず 折からの暑さで船内は悲惨な状態となっていた。 この事がイギリス代理公使から 外務卿(外務大臣)副島種臣に伝えられる。 当時ペルーと日本は条約を結んでおらず 清国とは条約調印済みだが未発効の状態。 維新後間もない不安定期にあった政府は 国際紛争を恐れ、ひたすら及び腰であった。 しかし副島は英米両国の支持のもと 法権は日本にあるとして 神奈川県参事(現在の知事)大江卓に船長の裁判を命じた。 その間清国人全員を上陸させ手厚く保護した。 |
![]() 大江卓 |
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E補足2 「マリア・ルス号事件」 特別法廷では船長の不法監禁を確認したが 情状酌量により無罪とする一方で 清国人全員を解放・帰国させた。 これに対しペルー政府が異議をとなえたが 明治8年のロシア皇帝による仲裁裁判は 日本政府の道義的処置はなんら非難すべきところがない とする判決を下した。 マリア・ルス号事件の主役は 裁判を指揮した土佐藩出身の大江卓である。 そして当時25歳の大江を終止一貫して支持したのは 外務卿副島種臣であった。 維新直後の日本には司法の独立がなく 地方行政官が裁判を担当する事になっていた。 これに対し司法卿の江藤新平は早くから司法の独立を訴え 全国に裁判所を設置し実行に移そうとしていた。 この事件はその丁度最中の出来事であった。 副島はワトソンからの書簡を受け取ると この裁判を司法省で引き受けようという江藤の申し出を断り 現行制度のまま神奈川県権令が裁判を行うよう 太政大臣三条実美の了承を取り付けた。 |
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