補足「石井宗謙」 石井 宗謙(いしい そうけん) 寛政8年(1796)〜文久元年(1861) 江戸時代末期の医学者。 美作国真嶋郡旦土村の医者の子として生まれる。 15歳の時父を亡くすもののそのまま医学を修めた。 文政6年(1823)から長崎に渡り シーボルトの鳴滝塾でオランダ語を学ぶ。 師シーボルトから『日本産昆虫図説』や 『日本産蜘蛛図説』『鯨の記』などの蘭訳を命ぜられるなど、 語学力に優れていた。 シーボルト事件後も長崎に逗留したが、 後にふるさとにもどり開業した。 天保3年(1832)美作勝山藩の藩医に就く。 その後藩医を辞し、備前国岡山で開業。 弘化2年(1845)から二宮敬作の勧めもあり、 師シーボルトの娘、楠本イネを預かり 産科医としての技術や知識をおよそ7年に渡り教える。 嘉永5年(1852)イネは長崎で長女高子を産む。 嘉永6年(1853)江戸に赴き 再び勝山藩に藩医として働き 外国語の知識を買われて、 幕府の通詞、外国文書の翻訳者の職を得る。 安政4年(1857)の江戸神田の種痘所開設に 参加、協力をしている |
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