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幕末期 長崎で活躍した人物 
     
 「中牟田倉之助」−1
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(1)
佐賀藩士「中牟田倉之助」なかむた くらのすけ

天保8年(1837)〜大正5年(1916)

日本の海軍軍人。海軍大学校長、枢密顧問官、子爵。

幼名は武臣。

金丸孫七郎の次男だったが、中牟田家の養子となる。


藩校弘道館に学び

佐賀藩主・鍋島直正の推薦で

安政3年(1856)20歳で長崎海軍伝習所へ入所

卒業後には三重津海軍所で

佐賀藩海軍方助役を務めて海軍力の発展を促す。

(2)
文久2年(1862)幕府の上海訪問団に加わり

藩命により千歳丸にて上海に渡る。

港や造船所を精力的に視察。

居留地で外国人に次々面会し、書籍や短銃を購入。

イギリス軍の砲台では

六門のアームストロング砲を詳細にスケッチし、

内心「一門でも持ち帰ることができれば」と切望した。

持ち帰った資料群は、藩士を刺激し、

欧米や科学技術への関心をさらにかき立てた。

大隈重信も、初めて西洋ろうそくやマッチを見た。

大隈はこの後、英学校開設を建言し、

長崎にできた「致遠館」の運営を担うことになる。

(3)
この上海使節団には

長州藩の高杉晋作や

薩摩藩の五代友厚も参加していた。

高杉とは意気投合し

漢学が得意な晋作が漢字新聞の読み方を中牟田に教え、

中牟田は英語を教えた。

互いに情報収集し、

船や航海の知識についても伝授している。


使節団

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