@ 天保7年(1836)〜大正6年(1917) 明治期の日本海軍の軍人 海軍中将 男爵。幼名、鉄太郎、安左衛門。 佐賀藩士で藩医200石の真木長澄の長男として生れる。 安政2年(1855)から約3年半 幕府や諸藩の伝習生と共に 長崎海軍伝習所で教練を受ける。 オランダ人教師団の下で 艦船の運用術などを修得。 藩主から優等賞を授けられた。 |
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A 「電流丸」艦長として戊辰戦争に従軍。 維新後は兵部省、海軍省に勤務。 明治3年(1870)「日進丸」艦長となり、 翌年に海軍少佐任官。 小艦隊指揮官、海軍省軍務局分課を経て、 明治5年(1872)海軍少将に進級。 提督府出勤、文書課長、海軍裁判所長、 海軍少輔、兼総務局長などを歴任し、 明治18年(1885)海軍中将となる。 明治14年(1881)には榎本武揚海相のもと 海軍制度改革案を提出している。 海軍機関学校長、将官会議幹事、 呉鎮守府建築委員長を経て、 明治32年(1899)後備役に編入された。 その他、宮中顧問官、伏見宮別当、 貴族院議員を務めた。 明治20年(1887)男爵の爵位を受け華族となる。 |
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B 補足(1) 佐賀の海軍士官佐賀海軍は 黎明期の海軍で鹿児島につぐ勢力を誇っており、 多くの海軍士官を輩出しています。 石井忠亮、松村安種、岡喜智、中牟田倉之助 相浦紀道、古賀喜三郎らと共に 真木長義の名も並び称される。 |
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C 補足(2) 『真木家住宅』 明治43年に東京都白金に建てられ 昭和12年調布市に移築 平成12年有形文化財に登録 洋館 北面東端に ハーフティンバー風の車寄を突出させて玄関とし、 南面中央には 八角のベイウィンドウを張り出す。 外装化粧煉瓦の貼り方や 内部ステンドグラスの意匠に新味が認められる。 日本館 洋館とともに白金から現在地に移築され、 洋館の東方に南面して置かれ、 洋館とは渡り廊下でつながれる。 木造、平屋建、寄棟造、桟瓦葺で、 東南に書院座敷を配する。 材料、施工とも上質な造りになり、 明治後期の和館洋館併存住宅の事例として貴重である |
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