@ 『三浦梧門』(みうら ごもん) 文化5年(1808)〜万延元年(1860) 江戸時代後期の長崎の南画家。 鉄翁祖門・木下逸雲と共に長崎三大家とされる。 諱は惟純、字を宗亮。 通称は総助もしくは惣吉。 梧門は号で別号に秋声・荷梁・香雨など。 |
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A 長崎本興善町乙名の三浦総之丞の長男。 三浦惟純という名でしたが、 通称『惣介』と呼ばれました。 先祖は平戸藩家臣で 代々興善町乙名を任された名家。 梧門は本興善町の乙名から 長崎会所目付役となっている。 幼い頃から絵を好み 8歳で馬の絵を描き 10歳余りで武者絵の大作を描いたとか。 |
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B 画は最初、渡辺鶴州に入門をし 唐絵目利の渡辺秀実・ 石崎融思に学び、 その後、舶載される中国の 古書画・名品に臨んでその画法を独学。 米法山水を得意とし 人物図・花鳥図も能くした。 土佐絵風の画も見られる。 日高鉄翁、木下逸雲と並んで 南画の『長崎三筆』の一人とされます。 |
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C 安政末のコレラ流行の時に 鐘馗様が疫病神を手づかみにした絵を描いて掲げ、 一家は一人の病人も出さなかった という伝説があります。 人柄は清潔で穏やか、 酒が好きで愉しみながら絵を描いたと言われます。 家の門内に、一本の梧桐樹 (あおぎり〜琴・建具に使用)があり、 そこで好んで『梧門』と号す。 門人に伊東深江など。 万延元年亡くなります。享年53。 墓所は本蓮寺。 |
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