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江戸時代からの由緒ある日本庭園と茶室
「心田菴」由来


心田菴は、何兆晋が長崎片淵郷(現在の片淵二丁目)に建設したと言われる別荘である。

何兆晋は、寛永五年(1628)長崎に来た住宅唐人・何高材の長男であり、

万治元年(1658)唐小通詞となった。父・高材とともに清水寺本堂(国指定重要文化財)

の寄進を行った。長崎の茶道において重要視された由緒があり、天和二年(1682)の

「心田菴記」や文化14年(1817)の「心田菴図」など、当地に関わる資料も残されている。

名前の由来は、人の地位や名誉、財産などより「心の田畑を耕すことが最も大切である」

との意味から名付けられたものとおもわれる。


〜心田菴略年譜〜


漢文 8年 (1668) 何兆晋 唐通詞 (*) 退役する
            このころ心田菴が建てられたと推定

天和 2年 (1682) 高玄岱(こうげんたい) 「心田菴記」を記す
            このころ黄道謙 「心田菴図」 描く

貞享 3年 (1686) 何兆晋死去

文化 14年 (1817) 菅井梅関 「心田菴図」 描く

天保 10年 (1839) 中島広足 「橿園文集」 を書く
            このなかに 「松陰舎記」 があり
            心田菴が紹介されている

明治 39年 (1906) 青木氏、心田菴を取得する。その後
             何度か所有者が変遷

平成 24年 (2012) 1月、増田水産株式会社から長崎市に
                心田菴が寄贈される。 


2012年11月25日

萱葺き門

杉皮壁


ちょっと高台にあります
                                        
       
         散策にもってこいの風情があります。


            神代熊斐筆軸
               お部屋からの庭の景色
         
出口も風情があるね〜
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