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鍋島本藩 

鍋島 深堀藩 

 鍋島の思想(葉隠れの精神)
我が誇り高い先祖 深堀武士                  日本 武士道
[池田八次郎]

(1)
昭和5年死去。67歳。

(1864−1930) 明治-昭和時代前期の公共事業家。

明治・大正期の奇人、公益家。水産、煉炭事業などに関与し、

公共事業に貢献。
【掲載事典】 ◎日本人名大事典.

明治?昭和期の公共事業家

生年元治1年(1864年)

没年昭和5(1930)年

出生地肥前国彼杵郡土井之首村(長崎県)

経歴ウラジオストク、朝鮮、樺太(サハリン)に渡り、

明治23年頃には1400人余の配下を擁したという。

帰国後、郷里・長崎県土井之首村での賭博を憂い8年間掛けて止めさせた。

無学文盲であったが、のち水産・練炭生産などに関与して成功し巨財を得て、

長崎ペーロンの発展に尽力した。

公共事業への貢献を讃え、村民による彰徳記念碑が建てられた。

(2)
   {(八次朗)深堀〜末石町〜毛井首町

    護岸工事をして埋め立てた。

    池田八次郎、}私の聞き覚え

日本練炭株式曾社 クリック

本社は明治29年の創立にして資本金壱百万円を有し、

営業の目的は熊本県下天草産無煙炭を以って原料

とし練炭を製造するにあり。而して販路は日本帝国

海軍軍用其他廣く各国艦隊の需用に應ず。

(特にロシア艦隊、イギリス艦隊)

其後事業を擴張し明治32年新たに

長崎港外西彼杵郡土井首村に工場を設置す。
(八次郎の故郷)

毛井首町(元土井首中学校)から平瀬町(川南造船の寮)

-江川町のジョイフルサンの所まで
           線路が引いてあった、



明治四十年十月十九日  印刷

明治四十年十月二十一日 発行



長崎縣紀要


第二回関西九州府縣聯合水産共進会
長 崎 縣 協 賛 會



   東京市日本橋区数奇屋町一番地

 印刷者  田 山 宗 尭


其面積は一万六千五百坪にして機械は

佛國最新湿潤壓搾式の機械を備へ十時間百七十噸の

製造力を有せり、尚晝夜業を執るときは二百五拾噸を

製造し得べく、故に一ヶ年の製造力は五萬噸以上七萬

なりとす壓搾機は角型練炭製造のもの一臺、丸型製造

のもの一臺にして角型練炭は専ら軍艦燃料に供し、

丸型練炭は水雷艇用に供せり。

原料産出地としては熊本懸下天草に於いて鑛山九ヶ所

其面積弐百五拾萬坪の鑛區を有せり。

而して天草に志岐炭業部、新山鑛業所、浦越鑛業所、

茂串鑛業所、権現山鑛所、

五ヶ所を置いて専ら練炭原料の無煙炭を採掘せり。

職工工夫八拾人内外、労働人夫二百五拾人内外は日々

業務に従事しつつあり。

徳川 大樹 写


(3)
私が謎におもう、

その(1) 日本帝国海軍軍用其他廣く各国艦隊の
     
     需用に應ず。

     英国帝国艦隊、仏蘭西帝国艦隊、

     露西亜帝国艦隊、阿蘭陀帝国艦隊、、他

     子供の頃聞いたのは練炭を佐世保海軍に

     運んだこと。



その(2) 元治(げんじ)元年生まれ。ウラジオストク,

      朝鮮,樺太(からふと)(サハリン)にわたり,

      明治23年ごろ1400人余の配下を擁したという。
          (身内も知らない)

                         徳川 大樹 写
(4)
川南造船の謎
(1)ロシア船の受注

(2)日本帝国海軍からの受注

(3)大洋造船と川南造船から林兼造船の関係

 私たち地元の人には、大洋造船の

 記憶があるのに一般には記録がない。

川南造船倒産から大洋造船に変わった。

 それから大洋造船で何があったのか、

 八次朗の息子(俊シャン)と

 ヤクザノ住田さんが関る、池田の財産は吹き飛ぶ。

 住田さんより27歳の頃聞いた。

 池田八次郎と徳富蘇峰の関係


  今まで調べて私が思うにすべてが八次朗の考えで?

  川南豊作、他を動かした。

                         徳川 大樹 写

(5)
私の記憶、(父より子供の頃に聞いた)

源田実、磯道町334番地、に住んでいた。

笹川 良一(最後の宗谷の持ち主)

児玉 誉士夫-土井の首にいた。

福田清人さん本家の隣に住んでいた父と付合いがあった

亡くなるまで手紙がきていた。
(6)
西岡 竹次郎を県知事にする。

磯道町から江川町までの主要道路を作った。

私の推理

 徳富蘇峰 長崎にお忍びで何回来たのかな?

 池田八次郎-川南豊作-岸 信介 池田勇人 佐藤 栄作 (後総理大臣)

 池田八次郎-長崎県知事に西岡 竹次郎を推薦

 大洋造船〜林兼造船?(前の野牛島)

 長崎とロシアの関係は深い(江戸時代より)

 日清,日露戦争〜第二次世界大戦


 国は何を考えたのか、長崎はその昔からグラバーの
 
 死の武器商人、それに坂本竜馬、小曾根乾堂、
 
 岩崎弥太郎、不思議なものよの〜〜


                         徳川 大樹 写

第二回関西九州府懸聯合水産共進曾名誉曾員竝役員諸君肖像

                    対馬宗重望公 大村純雄公 平戸松浦詮公
                                       池田八次郎

長崎陶器株式会社

                                                        

日本練炭株式曾社

本社は明治29年の創立にして資本金壱百万円を有し、

営業の目的は熊本県下天草産無煙炭を以って原料

とし練炭を製造するにあり。而して販路は日本帝国

海軍軍用其他廣く各国艦隊の需用に應ず。

創立当初は天草郡崎津港に於て乾燥壓搾機械を用い

製造したりしも其後事業を擴張し明治32年新たに

長崎港外西彼杵郡土井首村に工場を設置す。

其面積は一万六千五百坪にして機械は

佛國最新湿潤壓搾式の機械を備へ十時間百七十噸の

製造力を有せり、尚晝夜業を執るときは二百五拾噸を

製造し得べく、故に一ヶ年の製造力は五萬噸以上七萬

なりとす壓搾機は角型練炭製造のもの一臺、丸型製造

のもの一臺にして角型練炭は専ら軍艦燃料に供し、

丸型練炭は水雷艇用に供せり。

原料産出地としては熊本懸下天草に於いて鑛山九ヶ所

其面積弐百五拾萬坪の鑛區を有せり。

而して天草に志岐炭業部、新山鑛業所、浦越鑛業所、

茂串鑛業所、権現山鑛所、

五ヶ所を置いて専ら練炭原料の無煙炭を採掘せり。

職工工夫八拾人内外、労働人夫二百五拾人内外は日々

業務に従事しつつあり。
[私の覚書]

私が子供の頃から、お祝い事で親父の従兄弟叔父さん

酔っ払うと、必ず世が世ならばと言いながら、

刀をさす身振りをしながら自慢していた。

私も心ひそかに、プライドが芽生えました。

八次朗叔父さんも、大きなプライドを持ったと思います。

高校時代には私は、三河の生まれの徳川家康、織田信長、豊臣秀吉

ましてや自分は、

家康の菩提寺(大樹寺)の名前を、岡崎市長  菅野 経三郎 1944年と

親父が勤めていた、愛知県岡崎で航空会社の

社長小川格さん二人が、ナズケ親それもプライドの一つです。

親父は飛行機、戦車の設計をしていた。

昔小川格さんと、嵐勘十郎、日本の航空で共演、

私に出来ることは、文化の継承古きを尋ね新しきを知る

美術博物館に20数年、収めさせてもらっています。

日本国家は文化の源である仏教美術に力を注いで

欲しいものです。近年、地方のお寺、

他の文化財が盗難にあっています。

わが国も文化財の保護、税の見直し文化財には税の免除、

美術博物館等の無料化等いかがでしょうか。

                   徳川大樹

       

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