商品案内 おもいで 還暦茶会 店主紹介 買います 購入案内
長崎の歴史 古民芸 道 展覧会の案内 リンク集 長崎の産物 掲示板

深堀の歴史-1

             次へ
2012年2月17日   〈 縄文時代 〉
 深堀には縄文時代前期から人々が住み着いており,

地名は戸町から以南,

野母まで戸八(とはち)の浦と呼ばれていた。
2012年2月18日    〈 鎌倉時代 〉
 12世紀の終わりごろ,
     全国の武士を二分して,源平が激しく争った。

平氏の勢力が強かった西国では,
          多くの武士が平氏方として戦ったが,

その中には,
  松浦党など長崎の武士も加わっていた。やがて,

平氏は,西へ西へと敗走を重ね,寿永4年(1185年),

壇ノ浦でついに滅亡した。

 源氏の棟梁源頼朝は,
    鎌倉幕府を開き,武士による政治を始めたが,

頼朝は,これまでの自分の力の及ばなかった
 深堀の歴史ー3

2012年2月19日
















西国地方の武士の取扱いに苦心した。

はじめに,九州の菊池,緒方,
       山鹿氏など平氏方の有力武士には,

領地を没収するなど厳しくあたったが,
          領地の狭い小さな武士に対しては,

処分などはせず,逆に,
           幕府の御家人にしていった。
 
また,西国武士を御家人にするだけでなく,

自分の身近な東国の武士を守護・
               地頭として送り込み,

西国での幕府の基盤を固めていった。
 深堀の歴史ー4

2012年2月20日









これらの東国下りの武士は,
              幕府との結びつきも強く,

力もあった。小さな西国武士の中には,
                東国武士に圧迫され,

領地も奪われてしまう者もあった。

 大村湾の周りや長崎地方一帯は,
          彼杵荘(そのぎのしょう)といい,

京都の仁和寺(にんなじ)や東福寺の荘園であった。


 深堀の歴史ー5

2012年2月21日










その中,戸八が浦(長崎半島の西側一帯)は,

戸町氏一族が,
荘官(荘園を管理する武士)として古くから支配していた。

鎌倉時代になっても,
      戸町氏一族は,その地位を保っている。

 ところが,建長7年(1255年),
           戸八が浦の地頭 戸町俊長は,

わけがあってその領地を没収された。

 深堀の歴史ー6

2012年2月22日







そして,代わりに上総国深堀

〈 千葉県夷隅郡大原町 〉
            の深堀能仲が地頭に任命された。

そして,この地に着任し深堀と改めた。

この東国武士の戸八が浦下向は,

周りに住む武士たちに大きな波紋を巻き起こした。

 深堀の歴史ー7

2012年2月23日







 4代時光は,京都の大番役を勤めるが
             1274年蒙古来襲で博多に出兵。

南北朝時代は尊氏に味方して,九州一円で,

おおよそ60年間(1336年〜92年)戦った。

 1587年 18代純賢(6千石)は
          秀吉の薩摩征伐に従い竹綱を作って

渡河に成功。翌年は海賊行為のことで所領没収

 深堀の歴史ー8

2012年2月24日
























佐賀蟄居,城とり潰しを受けたが疑い晴れて復権した。

このとき野母,高浜,川原は没収のままだった。 

1592年と97年に朝鮮へ出兵し姓を鍋島と改める。
                   家康の命で柳河を攻略。
 
1637年〜38年の島原の乱では
         19代茂賢が一番駆け出しで名を挙げた。

1642年から約200年長崎港の警備に従事し
                  1700年には家臣21人が

長崎町年寄の高木氏一家を討ち喧嘩騒動を起こしている。

1868年の戊辰の役で
       29代茂精が江戸,仙台,秋田を転戦し活躍。

領民は凡そ700年の戦乱の世を耐え抜いてきた。
 
 1871年廃藩置県により深堀は,
              香焼,高島,伊王島をもって発足。

1880年に高島,伊王島が分離。1898年には香焼が分離し,


 深堀の歴史ー9

2012年2月25日









1945年8月原爆の熱い爆風で被害を受けた。
                     1955年1月深堀,

大籠は長崎市に編入,

1968年には深堀,
   香焼間の海面埋め立てが完成し三菱重工が進出。

削られた山手には新住宅団地ができて,
                   新旧共同の町となった。

 深堀の歴史ー10

2012年2月26日








○深堀氏

 深堀氏は,本姓は,鎌倉幕府創設以来の豪族三浦氏で,

上総国深堀(千葉県大原町深堀)の地を本拠地としていた。
現在(千葉県夷隅郡大原町深堀)

能仲は承久の変の勲功によって,

最初は摂津国吉井荘の地頭に任ぜられたが,

 深堀の歴史ー11

2012年2月27日







建長2年(1250)には甘木
        (福岡県甘木市)の地頭に変更され,

さらに,戸八が浦の地頭職に転じている。ところが,

大番交名の
 彼杵荘御家人の中に戸町藤次の名があるように,

この戸八の浦は戸町氏が本主として支配していた。

新地頭の深堀氏は,徐々に戸町氏の勢力を排除し,

 深堀の歴史ー12

2012年2月28日






ついに,この地方を支配した。
   以来,蒙古襲来,南北朝の混乱期を生き延び,

明応(1492〜1501)ころには有馬貴純と結び,

中世豪族へと成長していった。

次へ

クーデター クーデター 政府転覆 政府転覆 クーデター クーデター 政府転覆 政府転覆 クーデター クーデター 政府転覆 政府転覆 クーデター クーデター 政府転覆 政府転覆 クーデター クーデター 政府転覆 政府転覆 クーデター クーデター 政府転覆 政府転覆